江戸時代の地震に学ぶ
前回「首都直下地震はいつ起こるのか?」という記事を書きました。
そのときは「予想が当たった、外れた」といっても、命が無くなれば意味が無いのだから、「地震は必ず来るもの」として、ちょっとの工夫でも良いので「防災計画を立てよう、備えがゼロだけはやめておこう」というようなことを書きました。
このとき、ふと「江戸時代の庶民はどうしていたのだろう?」という疑問が湧き起こりました。そこで、今回は江戸時代の地震を取り上げてみたいと思います。
▲安政江戸地震のあと、なまずが描かれた「錦絵」が大量に発行されたという。
(出典) Wikipedia
江戸時代は「ミニ氷河期」だった?
江戸幕府は 260年 の長きに渡って我が国を統治してきました。世界史上でも珍しく長い例です。そこから「太平の世」というイメージがあり、戦国時代も終わって、平和な時代が続いたのだというイメージがありますが、自然災害・気象学の側面からみると決してそうではなかったようです。
江戸時代の大半は「ミニ氷河期」だったようです。
江戸時代の大半は「ミニ氷河期」だったようです。
正確には「小氷期」と呼ばれ、「小氷河時代」「ミニ氷河期」などとも言われるそうです。年代的には16世紀の半ばから19世紀の後半までの時期で、「江戸小氷期」という名前があります。
時代的にもろに江戸時代と被っています。間で少し温暖になる「間氷期」もあったようです。詳しく見てみると、多少はマシになる時期もあったようですが、江戸時代の初めから明治時代に至るまで「ミニ氷河期」が基本的には続いていたようにみえます。
【第1小氷期】=1610(慶長15)年~1650(慶安3)年ころ→「元和・寛永小氷期」=約40年(第1小間氷期)=1650年~1690(元禄3)年ころ→「寛文・延宝小間氷期」=約40年【第2小氷期】=1690年~1740(元文5)年ころ→「元禄・宝永小氷期」=約50年(第2小間氷期)=1740年~1780(安永9)年ころ→「明和・安永小間氷期」=約40年【第3小氷期】=1780年~1880(明治13)年→「寛政・天保小氷期」=約100年(出典) 江戸は寒い!―歴史気候学からみた江戸時代―
ちなみにどのくらいの寒さだったのか、同時期の世界に触れた記事がありました。
#アイルランドでじゃがいも飢饉が頻発し、人口の2割が亡くなった上に2割が国外脱出(1840年代=遠山の金さんが活躍してた頃)#アメリカではニューヨーク湾が凍ったせい(おかげ?)でマンハッタンから対岸のスタテンまで歩いて渡れた(1780年=独立戦争やってた頃。ひょえー!)#南半球のオーストラリア・シドニーでも吹雪が観測された(1836年=篤姫が生まれた年)などなど、これで「小」氷期なのかと疑いたくなるほどです。(出典) 江戸幕府終了は震災のせい?12年間に巨大地震が8回も
なんだか気の毒に思えますし、昔の人はとても頑張って生きていた、偉かったのだと畏敬の念さえ覚えます。
▲江戸時代の浮世絵にも数々の雪のシーンが残っている。
これは、歌川広景『江戸名所道戯尽 十四 芝赤羽橋の雪中』
下駄を履いた右側の男性が雪の上でスッテンころりん。脱げた下駄が左側の男性のアゴにクリーンヒット。
江戸時代の大地震は30回以上
江戸時代に起こった大地震のまとめを読んでみると、「マグニチュード 6 以上」で、少なくとも30回はあります。記録の不備や、ひとまとめにされた地震なども考慮すると、おそらく、40回ぐらいはあったのではないかと推測します。
(出典) 江戸時代歴史年表
260年間で40回として、実に「数年に一度」は、どこかで巨大地震が発生しています。「ミニ氷河期」ともども地震の被害や台風の被害もあって、日本人は本当に我慢強く生きてきたのだと感心させられます。
気候変動の上に、地震被害です。「歴史は繰り返す」といいますが、まるで現在の日本とかぶってしまいます。
安政の大地震
江戸時代の地震の中でも目を引くのが、「安政江戸地震(あんせいえどじしん)」です。安政江戸地震は、1855年11月11日(安政2年10月2日)午後 10時 ごろ、関東地方南部で発生した M 7 クラスの地震といわれています。
実はこの安政年間(1850年代)は、恐ろしいほど巨大地震が頻発した時代だったのです。
次にあげる数々の地震を総称して「安政の大地震(あんせいのおおじしん)」と言い、江戸で起こった「安政江戸地震」とは区別して呼ぶようです。幕末・黒船来航・明治維新に巨大地震と、庶民の不安はいかばかりだったのか、我々の想像をはるかにしのぐでしょう。
安政江戸地震の前年にあたる1854年12月23日(嘉永7年11月4日)に、南海トラフ沿い東側半分の東海道沖を震源域とする巨大地震「安政東海地震(あんせいとうかいじしん)、推定マグニチュード 8.4 以上)」が発生しています。
そして目を疑うのが、そのわずか 32 時間後の、1854年12月24日(嘉永7年11月5日)には、南海トラフを震源域とする「安政南海地震(あんせいなんかいじしん)、推定マグニチュード 8.4 以上)」が発生しています。
さらに、その2日後の1854年11月7日に、豊予海峡(いまの大分県・愛媛県の間の海峡)を震源とする「豊予海峡地震(ほうよかいきょうじしん、推定マグニチュード 7.4)」が発生しています。四国から九州では、2日前の「安政南海地震」で助かった建物が、結局被害に遭ったものと思われます。
ツイていないときは、本当にツイていません・・・
ツイていないときは、本当にツイていません・・・
「安政東海地震」も「安政南海地震」も上記のとおり「嘉永年間」に起きていますが、名前には「安政」とついています。実はこれらの巨大地震や京都御所の内裏炎上、そしてこの前年の黒船来航などの歴史的衝撃に直面して、元号が後から改元されたそうです。そこで、歴史年表上では安政元年が 1854年 であることから、「安政」を冠して呼ばれるそうです。
嘉永7年は、暦の上では、甲寅(きのえとら、こういん)であったことから、当時は「寅の大変(とらのたいへん)」とも呼ばれたそうです。
4日連続の東海トラフ・南海トラフ・豊予海峡の巨大地震のコンボ攻撃、そして翌年に、首都直下ともいうべき「安政江戸地震」が起こっています。「なんでやねん!」という人々は多かったはずです。
その上、根も葉もない流言やデマが出回ったそうです。この点は今も昔も変わりませんね。むしろ今の時代の方が、ネット・SNSがある分、被害が深刻かもしれません。当時も、幕府が流言・デマは厳しく取り締まったそうです。
▲このころの早飛脚で、数日後には日本中に江戸の地震が知れ渡っていたよう。
図は、江戸安政地震の被害を伝える大坂で発行されたかわら版。
「上水が止まり、人々は堀り抜き井戸まで水汲みに行って忙しい」「不忍池の水が津波の如く打ち上げた」など、わりと詳しく記述されている点に驚かされる。
(出典) ニュースの誕生
無情にもさらに地震が続きます。1854年には「伊賀上野地震(いがうえのじしん)」が、1856年には「安政八戸沖地震(あんせいはちのへおきじしん)」が、1858年には「飛越地震(ひえつじしん):いまの岐阜県・富山県の県境付近)」がそれぞれ連続して発生しています。マグニチュードも 7 以上と推定されています。
まさにこの 1850年代 「安政の大地震」の時代は惨劇です。自然災害ばかりか、ミニ氷河期に、黒船来航・開国・尊王攘夷というまさに国家の動乱期です。あまりの不運さに元号まで変えてしまうのですから。神はどこまで無慈悲なのか・・・
明治元年は、1868年10月23日に訪れます。「安政の大地震」のわずか10年後です。「江戸幕府は地震が倒した」といっても過言ではないかもしれません。
現在の日本でも、来年改元する予定ですが、なんだか我が事のように思えて不安になってしまいます。
「安政江戸地震」の被害
「安政江戸地震」は夜に発生しています。それが火災の被害を助長しました。江戸の大火です。いまの「秋葉原駅」の東に、「亀戸」という駅があります。さらに東へ行くと、「市川」という駅があります。この「亀戸駅」から「市川駅」の間一帯が焼け野原になったといわれています。
この地震での死者は、1万人以上ともいわれます。だいたいこの頃の人口は 3000万人 程度であったといわれています。今の4分の1です。ですから、いまの人口規模で換算すると、 4万人 程度の死者があったインパクトだったと見積もってもおかしくはありません。
▲安政江戸地震の大火を描いた錦絵。
「安政二年江戸大地震火事場の図」国立国会図書館所蔵
このほかの被害をみてみますと、
・現在の日比谷から神田神保町あたりまでにあった大名屋敷が全壊。・文京区小石川にあった水戸藩邸で、藩主の側近・戸田忠太夫と藤田東湖が圧死。→水戸藩は精神的支柱を失い、これがもとで桜田門外の変に至るともいわれる。・旗本や御家人(直接幕府に仕える武士)の 80% が家を失くして路頭に迷う・「こち亀」の舞台、亀有周辺で田んぼや畑が隆起するわ沼になるわで農民の収入がピンチ・江戸城の櫓(やぐら)・門・石垣などが崩れる・将軍・家定(篤姫の旦那)は難を逃れる。・江戸市中では復興特需で建築や生活財で「ぼったくり」が頻発。幕府もたびたび禁令をだしたが収まらず。(出典) 江戸幕府終了は震災のせい?12年間に巨大地震が8回も
まぁ、なんだか今の時代でも起きそうなことがかなり見受けられます。「過去に学ぶ」といいますが、「歴史は繰り返す」とも言えますね (^^;
そしてこの地震で徳川幕府は政治危機を抱え込みます。そうです、財政難です。安政の大地震は幕府をものすごく貧乏にしてしまいました。まるで桃太郎電鉄で「キングボンビー」いや「ハリケーンボンビー」に襲われたそのものと言えますww
先にも書きましたが、だから討幕が起こり、明治維新に至ったといえます。まさに、「安政の大地震」は「革命的」だったといえるでしょう。
さて、この地震の時、まさにいまNHK大河ドラマで終盤を迎えつつある「西郷どん」の主人公・西郷隆盛(吉之助)と篤姫が登場します。しかし、このお話はまた別の機会に・・・。
「今宵はここらでよかばい」「西郷どんチェストー!」
今後とも 銀河研究所[GINGA Laboratory]をよろしくお願いします。
(編集者: 所長・ナオミン)
(編集者: 特任研究員・くぼっさん)
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