19世紀は、日本で7回、南北アメリカで16回の地震

18世紀は、17世紀に比べて、地震そのものの発生件数が増加しています。
観測体制が時代とともに整ってきたことが要因だと考えます。
したがって、「18世紀=地震が頻発した世紀」と断じるのは早計かもしれません。

しかしながら、M8.0 以上の巨大地震が、日本で7回、南北アメリカで16回発生しています。
※ただし、1822年11月および1868年8月にチリで発生した地震は、同一の地震が2回カウントされている可能性があります。

数え方としては、年表に「?」がある場合、「実在しなかった」「記事無し」がある場合を除きました。要は、疑わしい地震はカウントしませんでした。

前回の 『巨大地震は地球の裏側と連動するか』[シリーズ:04] では、18世紀の地震を取り上げましたが、日本でも、南北アメリカでも地震発生件数はかなり増加しています。

紀元後~19世紀の地震発生回数を表にしてみました。マグニチュード 7 以上の、いわゆる「大地震」の発生回数と、それ以下の規模の地震の回数です。

地震回数-min


これを見ると、18世紀に比べて、19世紀は日本でも南北アメリカでもの地震が回数的にも規模的にも急激に多くなっていることがわかります。それは冒頭で述べたように、近代化の中で観測機器の整備など観測体制が強化されてきたことが要因だと思います。

このグラフは、今後も引き続き調査して更新したいと思います。



19世紀の地震で日本と南米で連動性はあったか?

そして、肝心な地震の裏表の関係、すなわち日本もしくは南米で巨大地震が発生すると、その直近で地球の反対側でも巨大地震が誘発されるのかということですが、 19  世紀の被害地震年表を見る限り、そのような状況といえるのは、 17  回ほど発生しているように思われます。

◆19世紀の双子地震

1801年 <上総・久里地震>と<メキシコ>
1812年 <文化神奈川地震>と<ニューマドリッド地震>
1819年 <文政近江地震>と<チリ地震>
1821年 <会津地震>と<ペルー沖地震>
1828年 <越後三条地震>と<ペルー地震>
1833年 <庄内沖地震>と<ペルー地震>
1834年 <石狩地震>と<コロンビア・エクアドル地震>
1835年 <宮城県沖地震>とチリ・コンセプシオン沖地震>
1839年 <釧路地震>と<ベネズエラ地震>
1843年 <天保十勝沖地震>と<リーワード諸島地震>
1853年 <小田原地震>と<ベネズエラ地震>
1857年 <伊予・安芸地震>と<アメリカ・カリフォルニア地震>
1861年 <宮城県沖地震>と<アルゼンチン地震>
1872年 <浜田地震>と<アメリカ・ローンパイン地震>
1892年 <石川・富山地震>と<アメリカ・バガビル地震>
1894年 <根室半島沖地震>と<ベネズエラ地震>
1899年 <日向灘地震>と<アラスカ地震>

合計 17件

18  世紀に比べると格段に増えています。先ほどから述べているように、19世紀という近代化の中で地震の観測体制が整備された結果、記録された地震件数が増えてこうなったものなのか、あるは、本当に「双子地震の相関関係」があるのか、

20 世紀の地震年表でも引き続き比較していきたいと思います。







幕末の動乱期に、東南海トラフ連動地震が襲う

1854年(嘉永7年)12月24日に発生した「安政南海地震(あんせいなんかいじしん)」が、19世紀のわが国で最大の地震です。

実は前日(約32時間前)の12月23日に「安政東海地震」が発生しており、これは現在でいう「東南海トラフ連動地震」であったと思われます。つまり「東海トラフ」と「南海トラフ」が1日違いで連動するという、まさに今現在わが国で心配されている「南海トラフ巨大地震」がこのとき発生したのです。

寅年であったことから「寅の大変(とらのたいへん)」と呼ばれました。今聞くと災害でありながら不謹慎にも風流なネーミングだなあと感心してしまいますが、単に地震の被害が大きかっただけでなく、社会的にも大変な混乱期にありました。

なぜなら、前年の1853年は、アメリカのペリー提督の黒船が浦賀沖に来航した年で、まさに幕末の混乱期だったからです。
Putyatin_Nagasaki_1853
▲プチャーチンが日本に来航したことを伝える当時のかわら版の挿絵
(出典:ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/エフィム・プチャーチン)


また、ロシア皇帝ニコライ1世から日本との条約締結のために派遣されたエフィム・プチャーチン率いるディアナ号は、「安政東海地震」のまさにその日、12月23日に伊豆の下田で被災しています。大津波によって、ディアナ号自体が大破して、乗組員にも死傷者が出ました。プチャーチン自身は助かり、また、彼らは日本人数名を救助し、船医が看護したという記録が伝わっています。





それではまたの機会によろしくお願いします。




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(編集者: 所長・ナオミン)
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